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help RSS 太宰治の文章は美しい

<<   作成日時 : 2010/10/30 23:15   >>

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もの思う葦
エッセイ集のようなものだが、太宰治にかかれば、すべてが小説となる。
ただ、彼を作家として好きではない人が読んでも大して面白くはないかも知れない。

井伏鱒二に興味がある方は『『井伏鱒二選集』後記』を、昭和初期の文壇を太宰の視点から覗いてみたい方は『如是我聞』をお勧めしたい。
『川端康成へ』では、川端の批評に対して太宰が反論しているので、こちらもどうぞ。

私はこの作品によって、ますます太宰に愛着が湧いた。(愛着だなんて、彼が聞いたら嫌がるだろうが)
彼は自分を弱い、とよく言うけれど、その弱い彼が『如是我聞』ではなりふり構わず背水の陣で文壇を批判する。
ものを書く彼だからこそ、「後輩に対して悪口と変わらない批判はすることが出来ない」
そこに彼のやさしさを感じた。

ところで、『思案の敗北』には、X光線が泣く泣く「私は悲しいめくらです」と漏らす文章がある。
そして、太宰はこれを読者へのサービスと言っているが、実際、私はこの文章が取り分け気に入った。

本当に、太宰治の文章は美しい、その言葉に限る。

生きていく力: 嫌になってしまった映画をおしまいまで観ている勇気
太宰の数少ない随筆集で、人間失格と平行して執筆された、自殺を予感させる、志賀直哉など文壇への挑戦状、如是我聞が収録
されている。

如是我聞の迫力はもはや誰も真似することができない狂気と言っても良いほどのものであるが、その中でも非常に細かな読者への
サービス、インテリとしての矜恃が溢れており、これを読まずして太宰は語れない。

しかし、それだけではない。

生きていく力: 嫌になってしまった映画(正しくは、活動写真)をおしまいまで観ている勇気

など数々のアフォリズムが収められた、太宰の散文の才能を垣間見れる貴重な随筆集である。

水夫の話
 「彼はいつも最も簡單な言葉で彼の教理を説いてゐた。同じことを繰返し繰返しして云つてゐた。これは自ら恃むことに厚く最も勇敢な人々のみの爲し得ることである」。
 これは梶井基次郎が北川冬彦という人を評した言葉です(「青空文庫」より引用させて頂きました)。太宰もまた、「最も簡單な言葉で彼の教理を」「繰り返し繰り返しして云つ」ています。それがこの作品集に収められたうちの一つ、「一つの約束」に出てくる難破した水夫の話です。みなさんは、この本を手にしてください。そして、「一つの約束」を読んでください。難破した水夫の話を読んでください。この話は、「雪の夜の話」と「惜別」とにも出てきます。これも合わせて読んでみましょう。
 「一つの約束」では、第一線で戦っている日本の兵士とその家族を励ますため、水夫の話が登場します。戦地で戦った日本兵の誰も見ていない「美しい」行為を太宰をはじめとした、日本の文学者が文学として復活させる。それを読者が読む。戦地で死んでいった兵士とその家族との再会が、文学を通して実現するのです。太宰のこの行為自体は美しいのですが、兵士を戦地に、死に追いやった戦争を太宰は「美しい」と考えていたでしょうか。私にはそうは思えません。戦時下の太宰文学は、表面的には時局を賛美しながら、実は時局を批判しています。堀部功夫氏の言う「騙し絵」的文学、藤原耕作氏の言う「太宰的イロニー」がそこにはあります。時局賛美は、発禁処分を免れるための、彼の一つの苦肉の策でした。「惜別」の「周さん」は言います。真の愛国者は、国の悪口を言う、と。とすれば、日本を賛美した「周さん」は日本を愛していなかった、と解釈できます。太宰はどうでしょうか。彼は日本を愛していた、と私は思います。だから戦時下の彼の文学は、日本を批判する文章が隠されていることを前提にして読むのが、彼に対する礼儀なのです。生意気なことを言いました。失礼します。
 
もの思う葦

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